011 : 罪悪感と向き合う
前回は、3回に渡って「人との関わり」をテーマに書いてきました。
今回は、自信の持てない人が感じやすい感情でもある、『罪悪感』に焦点をあててみたいと思います。
■ 心の自立とは
何らかの理由で、人と関わるのが怖くなってしまっていたり、
外に出られなくなってしまった人が、
「自立 (もう一度、自分の足で立ち上がる決意をする)」を成し遂げるためには、
まず先に、内面の問題である『精神的な自立』が必要になってくるのではないかと思います。
私が思う“精神的な自立”というのは、
「自分で自分の心を支えられるようになること」
。
例えば、嫌なことや理不尽に思うことがあったりして、気持ちが沈んでしまうようなとき。
自分の内側から生まれてくる、「辛さ」や「苦しさ」といったネガティブな感情を、
無理に抑えこもうとするのではなく、許して、寄り添っていけるようになることです。
どんなに“無くしたい”と思うような感情であっても、『これも、私の大事な一部分』という風に肯定していけること。
それが、「自分自身を大事にできる」ということです。
【自然な思いに従う】
以前書いた項目の中で、「感情は否定しようとすると、逆に大きくなってしまう」というのがあったと思います。
自分の心を楽にするための一番の近道は、
『生まれてくる感情を、あるがままに感じ切ること』です。
「心の自立」と書くと、何か一人で頑張らなきゃいけない感じがしたり、
自分を制限して、何かを我慢しないといけないようなイメージがあるかもしれません。
でも、ここで私が言いたいのは、それとは全く逆の内容です。
辛さを抱えやすい人の中には、気持ちを抑え込んだり、我慢しすぎてしまう人達がたくさんいます。
(自分の素直な心を大事にできないし、過去の経験から、
『それをするのはいけないこと』という感覚を持ってしまっているからです)
なので、ここで伝えたいのは、『本当は、もう少しわがままになってもいいよ』ということなのです。
例えば、必要なときに人に助けを求められること。 これも、立派な「心の自立」のうちの一つです。
自然と生まれてくる素直な心の感覚に対して、
“どれだけ許可を出せるのか”という問題でもあると思います。
・嫌なときには、きちんとその意志を伝えられること
・助けがほしいときには、素直に人の手を借りられること
・疲れを感じるときには、無理せず休む
・甘えたいときには、甘えてみる
・自分のしたいと思えることをする
・泣きたいときには、「泣いてもいい」と許せること
・悲しいときには、しっかりと悲しむこと
・笑いたいときには、笑えること
これらを全て含めた上で、シンプルな言葉にまとめるとすれば、
『他人のためではなく、自分のために生きられる』ということです。
■ 幸せのありか
「自分」と、その内側にある「自分の感情」というのは、切っても切り離せないものです。
別のものと取り替えたり、無くしたりすることはできないので、
人は生涯、自分自身の心と共に歩んでいく必要があります。
言うなれば、人生の中で一番長く一緒に過ごす“相棒”のようなものであり、
「もう一人の自分」と言ってもいいかもしれません。
【心の持つ役割】
私は、人の“状態”を作っているのは、『心』だと考えています。
(どうしてこんなことを言ったのか、とか。 どうしてこんな行動を取るのか、とか。
なぜそれを選択しようと思うのか、など)
どんなに冷静で理性的な人であっても、感情が全くない人というのは存在しません。
心というのは、少なからず、行動や選択に影響を与えています。
これは、積み重なれば、『人生そのものを形作っている』とも言えるのではないでしょうか。
私たちが、普段の生活を楽しんだり、満足感や達成感を味わったり、
何気ない出来事に喜びを見いだしたりできるのは、そこに感情があるからです。
『気持ちが満たされた状態』というのは、人の人生を豊かにします。
【「私」であること】
では、自分自身の心が満足する時というのは、どんな時だと思いますか。
私は、『ありのままの感情を、肯定できている時』だと感じます。
そこには、さえぎるものが何もありません。 全てが自然で、まっすぐです。
風通しが良いため、出口を失って滞ることも、
上から無理に抑えつけられ、不満を募らせてしまうこともありません。
存在を認めてしまえば、それ以上悪くなることもないため、
あとはただ、軽くなっていくだけです。
人はただ、『わかってもらえた』というだけで、救われることがあります。
その役割は、必ずしも他人でなければいけないわけではありません。
自分自身であっても構わないのです。
それくらい、自分が自分のままでいられるというだけで、人は自信を取り戻すことができます。
『私は、このままでいいんだ』と思えるだけで、安心して今を生きられるようになります。
【苦しさの裏にあるもの】
では反対に、「自分を不幸にする行為」とはどういうものでしょうか。
単純に考えるのであれば、上とは逆のことをすればいい、ということになります。
・気持ちや、感覚を否定してしまう (肯定できなくなってしまう)
・感じることを避けようとしてしまう (無視してしまう)
・自分で自分のことを責めてしまう (大事に扱えない)
・自然なままの思いを押し殺したり、ごまかしたりしてしまう
これらのような状態を「自己否定」と言ったりしますが、
ここに深く関わってくるのが、
『罪悪感』
と呼ばれる感情です。
■ 罪悪感とは
“法律”や“道徳”といった基準ではなく、「自分の心」という視点から見たときに、
例えば、
『このままの自分じゃ駄目なんじゃないか』とか、
『こんなふうに考えてしまう私は、ひどい人間なんじゃないか』とか、
『こんな私は、人から受け入れてもらえないんじゃないか』
といった気持ちが、わき起こってくることがあります。
このように、『自分の持っている気持ちや感覚を、「悪いもの」だととらえてしまう行為』
という風に、私は認識しています。
罪悪感というのは特別なものではなく、誰もが感じやすい感情でもあります。
ですが、いきすぎれば自分を傷つけ、苦しめてしまうばかりでなく、
周りの人まで傷つける結果に繋がってしまうこともあります。
本来、自分の内側からわき起こってくる感覚に、「良い」も「悪い」もありません。
それがポジティブな感情であろうと、ネガティブな感情であろうと、
ただ、自然に生まれて、自然の流れとともに消えていきます。
出口を塞ぐことなく、無理に抑えこもうとすることもなく、
“そのまま”を感じて受け入れることができれば、気持ちは満足しておさまっていきます。
【過去からのつながり】
心や感情というのは、無理やり変えようとしたり、
自分の中から、意図的に追い出したりできるものではありません。
ただ、そこに存在しているもの。 それが自然なままの姿です。
私たちにできるのは、それを別の形に変えようとすることや、
自分の内側から無くそうと、頑張ることではありません。
自分の一部として受け入れ、共存していくこと。 つまりは、居場所を作ってあげることです。
私たちはただ、『そこに、その感情がある』と、認識するだけでいいのです。
必要以上にどうにかしようと思ったり、見えない場所へと押し込めたりせず、
生まれるままに、自由にさせておきます。
自然の流れを、阻害しないでいること。 それが、『自分である』ということです。
しかし、過去に経験したことや、学んできた色々な物の見方によって、
それが出来なくなってしまった人たちがたくさんいます。
(例えば、世間で“良い”とされている考え方や常識、周りからのプレッシャー、
親の意向や感情、目には見えない“暗黙の了解”など)
罪悪感を感じやすい人は、「傷ついた経験の多い人」です。
気持ちや感覚を否定されることの多かった人。もっと言うなら、
『誰かの価値観を、押しつけられてきた人』と表現してもいいかもしれません。
その人が幸せなのか、不幸なのかを決めるのは、他人ではありません。
その人自身がどう受け止めるのかによって、大きく変わってきます。
ただ、あえてその言葉を使って表現するとしたら、
自分の感覚を「善か、悪か」で判断し、『悪いもの』としか思えなくなってしまうこと。
自然なままの自分を肯定できなくなってしまうことは、『不幸』と言えるのではないかと思います。
■ 駄目な自分ごと受け入れる
先ほど、『傷つきやすい人は、罪悪感を感じやすい』と書きました。
自分で自分を責めてしまうため、周りの人からも「責められている」と感じてしまいやすいからです。
普段から、自分のことを許せている人は、
たとえ、他人の言葉や態度に、一時的に嫌な気分になることがあったとしても、
長く引きずることはありません。
なぜなら、心の痛みというものは、相手が自分を「傷つけようとした」ときに生まれるのではなく、
自分自身が「傷ついた」と認識した瞬間に、初めて生まれるものだからです。
本当の意味で、自分の心を傷つけることができるのは、
それをしようとした相手のほうではなく、
その言葉を、自分に向けて振り下ろすことを許してしまった、自分自身とも言えるのです。
【罪悪感から抜け出すには】
一言で言うなら、
『自分の中の弱さを、受け入れていくこと』
です。
人間なので、全てにおいて完璧な人なんて存在しません。
弱い部分や、駄目な部分も持っているのが、普通のことです。
誰かと比べたときに、“欠点”としか思えないような部分もあるかもしれません。
(本当にそうだという意味ではなく、「自分がそう認識してしまっている」という意味です)
そういう部分も含めて、「これが私」 「私はこれでいい」という風に、
自分の全てを、丸ごと受け止めていけること。
それが、罪悪感から抜け出すための近道だと感じています。
目指すのは、弱さに打ち勝って、強い自分になることではなく、
『弱い自分がいるのを認めた上で、許していくこと』です。
それができる人が、本当の意味での強さを持った人だと、私は思います。
【感じたらいけない感情なんてない】
人の感情というのは、大きさや内容に制限をかけたり、
自分の意図した通りに、コントロールしたりできるものではありません。
ただ、そこにあるがままの状態を受け入れていくものです。
無理に制限して抑えようとすれば、余計に大きくなってしまいます。
例えば、「怒っちゃだめ」と過度に制限しようとする人より、
「怒ってもいいよ」とか、「怒りたくなるくらい辛いんだね」という風に、
自分を許せる人のほうが、心に余裕が持てるため、怒りを軽くすることができます。
同じように、痛みや悲しみも、あえて感じてみようとしたり、
自分の一部として受け止めていくことで、
必要以上に広がって、大きくなってしまうのを防ぐことができます。
生まれてきた気持ちを無かったことにしないで、
恐る恐るでもいいので、許していこうとする姿勢が大切です。
【「良い人」になろうとしない】
「自分はそこまで優しくない」というのを受け入れている人のほうが、
本当の意味で、人に優しくなれます。
これは、自分の中には「良いとされる部分も、悪いとされる部分も、どちらの面もある」ということ、
それを含めた上で、それでも、“自分を受け入れていくことの大切さ”を知っているからです。
そういう人は、自分の本当の気持ちを見ないようにしたり、
無理をしてまで、誰かのために生きようとはしません。
自分が「こうしたい」と思えること、「大事にしたい」と感じるもののために、生きることができます。
『人に合わせることばかりが、優しさではない』というのを、よくわかっている人です。
そうやって自分のことを大事にしていると、
心の中に少しずつ、他人を受け入れるためのスペースが生まれてきます。
そういう人から感じる、心の余裕や安心感、自己肯定感などが、
周りにいる誰かを安心させ、癒すことへと繋がっていきます。
【人の期待に応えすぎない】
相手の機嫌が悪いのは、その人自身が抱えてしまっている心の状態によるものです。
自分や、誰かに責任があるわけではありません。
(感情というのは、出来事へのとらえ方次第で、良くもなれば、悪くもなります)
その人がもともと持っている「価値観」の問題でもあるため、
他人が無理やり、どうこうできるものではないからです。
そのため、「私が悪いんじゃないか」と罪悪感を感じる必要はないし、
自分の気持ちを押し殺してまで、「相手の期待に応えなきゃ」と頑張る必要もありません。
相手の気持ちの問題と、自分の気持ちの問題は別なんだ、と言う風に、しっかりと分けて考えること。
これができるようになると、誰かの感情に振り回されて、
自分自身の“心の軸”を、見失うようなことが無くなっていきます。
■ 「べき思考」を緩めていく
自分に対して、厳しくなりやすい人は、
「~であるべき」 とか、「~でなければいけない (××じゃなきゃ絶対だめ)」といった、
ルールや価値観を、強く持ってしまっていたりします。
そして、この価値観と照らし合わせて、そこから外れた自分のことを責めてしまったり、
他人のことも、同じように責めてしまったりすることがあります。
この考え方の多くは、小さい頃に家庭を通してだったり、世間や親、周りの人達から学んだことだったり、
自分の経験してきた出来事などが、影響を与えていたりします。
そのため、すぐにどうにかできるものではないかもしれません。
それでも、少しずつでいいので緩めていこうと意識できると、
罪悪感を感じることが減り、今よりも楽に生きられるようになっていきます。
【自分なりのラインを見つける】
物事を、「0か100か」、「白か黒か」、「良いか悪いか」と言う風に、
両極端にとらえすぎないことも大切です。
『グレーを受け入れる』という選択肢があってもいいからです。
とらえ方は人によって違ってくるため、どれを選んでも、間違いということはありません。
「どっちでもいい」とか、「好きに決めていい」という柔軟さを持てると、
自分自身のことを、許せるようになっていきます。
例えば、「100じゃなきゃ駄目」ではなく、「70~80でもいい」と思えること。
完璧じゃなくても、できない自分がいてもいい、と、今の状態を受け入れていけること。
駄目な部分も含めて、これが「今の私」だし、『私は私にしかなれない』と、
開き直ってみせるくらいで、ちょうどいいのかもしれません。
■ 今回のまとめ
人は、「自分自身」でいられるときが一番輝くし、心に安心感を感じることができます。
時には、直視するのを避けたくなるくらい、嫌な感情が生まれてくることもあります。
怒りや苦しみに、のまれてしまいそうになることもあります。
人には言えないような言葉だったり、
言ったら引かれそうな思いが、わいてくることもあるかもしれません。
でも、影があるから光があるように、どちらか片方だけでは成り立ちません。
いろんな面が合わさって、「自分」という人間が構成されているからです。
ネガティブな気持ちを抑えようとすれば、ポジティブな気持ちも、同じように感じにくくなってしまいます。
どちらもあるのが自然で、バランスの取れた状態なのだと理解したとき、
自分自身を変える必要がなかったことに、気づくことができます。
欠点だと思い込んでいたものは、その人がそれを受け入れた瞬間に、
はじめて、「個性」としての輝きを取り戻します。
それが、その人にしか出せない魅力や持ち味となり、「欠かせない点」へと変わっていきます。
今回の章を通して、一番伝えたいこと。
それは、『そのままのあなたで、何も問題はない』ということです。
(つづく)
2019年11月14日